置賜の吹奏楽の歩み

置賜の吹奏楽の夜明け

 置賜の吹奏楽史は、明治時代に米澤新聞社が結成した米澤音楽隊までさかのぼる。その一員だった大沼 哲(さとる)はのちに陸軍戸山軍楽隊長に就任すると共に、作曲家として山田耕筰とも肩を並べた。戦前の街にはときおり商用の楽隊がパレードし、戦時中は青年団や小学校に戦意高揚のための楽隊が組織されたが、終戦と共に幕を下ろした。

 戦後復興が進む1950年(昭和25年)、米沢工業高校に新たにブラスバンドが創設された(片桐 力)。56年に米沢二中(増子 力)、翌年米沢三中(高山 恭)がこれに続き、両バンドが上杉まつりのパレードや皇族の歓迎演奏などで市民を活気づけた。58年に米沢市役所職員による音楽隊が結成され、同年11月の山形県吹連結成記念第1回定期演奏会に米沢二中・三中と共に出演している。

 この気運の高まりを受け、各校にブラスバンドが次々に誕生した。61年、米沢興譲館高(三用千秋)、長井中(堀江謙太郎)、小国中(斎藤庄四郎)、宮内中(山川正吾)。62年、米沢四中(高山 恭)。63年、宮内高(鈴木秀夫)、置賜農業高(村岡 崇)、米沢商業高(阿部 亨)、米沢中央高(長南幸男)、米沢一中(増子 力)、飯豊中(長谷部玲子)。64年、米沢女子高(九里茂三)、新山(しんざん)中(布川 裕)、65年、米沢五中(梅村豊子)、長井高(近野和夫)、長井工業高(荘司也夫)、高畠高(武田恵子)などである。資金の捻出やメンバー選び、慣れない楽器指導など、各学校・担当教員の苦労は想像に難くない。

 63年に吹奏楽コンクール第1回山形県大会が開催され、小国中(梅津庄四郎)と米沢市役所音楽隊(三用千秋)が参加した。このうち米沢市役所は東北大会を経て吹奏楽コンクール全国大会の職場の部に初出場した(岐阜市民センター、『エグモント序曲』、8位)。翌年の県大会には米沢二中・三中・四中、長井中、興譲館高も加わった。

 70年に置賜地区吹奏楽連盟が結成された。初代会長は平井久吾、初代理事長は増子 力で、米沢三中に事務局を置いた。主な事業は次の通り。

 定期演奏会(兼吹奏楽コンクール地区大会): 70年に開始。当初は各学校の体育館で開催していたが、90年頃から長井市民文化会館に会場を移し、2日間の日程で行っている。〈吹奏楽連盟定期演奏会〉の名称でコンクール予選を行っている例は全国的にも珍しいといわれる。

 アンサンブルコンテスト地区大会: 73年に開始。当初は各学校の音楽室や体育館等で開催していたが、現在は会場を高畠町文化ホールまほらに固定し、2日間で開催している。

 講習会: 71年に開始し、指導者向け、中高生向けなどを工夫してきた。近年は米沢吹奏楽愛好会による中高生対象の楽器講習会を開催している。

 

二つのリーダーシップ:興譲館高と愛好会

1978年、愛好会が第1回アンコン全国大会で金賞
1978年、愛好会が第1回アンコン全国大会で金賞

 64年、興譲館高の吹奏楽研究部(現・吹奏楽研究クラブ)が米沢市公会堂で第1回演奏会を開いた。生の演奏に接する機会が少なかった当時、市民から大いに歓迎された。同校は71年以後、コンクール東北大会の常連校としての地位を築いていた。三用の上品な音楽が開花し、71年『リンカンシャーの花束』、72年の『小組曲』(バルトーク)、75年『キャンディード序曲』といった流行に拘泥しない選曲、精神性を真摯に追求した音楽芸術が審査員をうならせた。76年に引き継いだ佐々木捷人の指揮で、同校は78年に第2回全国高校総合文化祭に初の県代表として出場した(兵庫・明石市民会館)。先進的な選曲は受け継がれ、80年の『中国の不思議な役人』、82年の『カルミナ・ブラーナ』などに展開され、東北大会に83年まで通算9回出場した。

 71年、興譲館高OBの川島良博や大嶋憲治、米沢商業高OBの金子 晃らが集い、米沢市吹奏楽愛好会を結成した(現・米沢吹奏楽愛好会、初代会長:川島良博)。愛好会はこの年から3年連続で東北大会に進出した(戎谷 宏、三用千秋)。77年から再び連続して東北大会に出場し(斎藤道郎、三用千秋、丸山善彦、金子 勉)、安定した力をつけていった。

 愛好会のアンサンブルは早くから全国をリードした。木管3重奏(写真:長谷部裕彦、高橋 晃、長谷川茂則)が77年度の第1回アンサンブルコンテスト全国大会に出場するや金賞を受賞し、6年連続出場する中で79、81、82年度にも金賞に輝いたことは特筆に値する。また85年度の全国大会では金管8重奏(写真:黒田 靖、黒田 聡、金子 勉、大沼浩一、伊藤裕之、後藤 敦、宮沢 誠、高橋宏治)が金賞を受賞した。同グループは87年度にも全国大会に出場し、その後米沢ブラスウィンズを結成して活躍している。

1986年、愛好会の金管もアンコン全国大会で金賞
1986年、愛好会の金管もアンコン全国大会で金賞

 また85年度の全国大会では金管8重奏(写真:黒田 靖、黒田 聡、金子 勉、大沼浩一、伊藤裕之、後藤 敦、宮沢 誠、高橋宏治)が金賞を受賞した。同グループは87年度にも全国大会に出場し、その後米沢ブラスウィンズを結成して活躍している。

 愛好会は72年から定期演奏会を開くと共に、78年に〈スプリング・コンサート〉も始め、96年以降は地元の中学校吹奏楽部にゲスト出演の機会を提供している。また、同会にはOB会があり、音楽仲間の絆を強固なものにしている。

 

各団体の発展ぶり

 各団体も70~80年代に初期の発展をとげた。

 米沢商業高は68年に初の演奏会を開き、71年以降は毎年演奏会を開いている。音楽室も音楽科教員も置かない同校は、OB組織である同友会が活動を支えていたが、76年に赴任した中嶋光紀の指導で力をつけ、79年にAクラスで東北大会に初出場を果たした。

 米沢女子高は68年から演奏会を始めた。71年に島森 浩を顧問に迎え、マーチング・ドリルを含むユニークな定期演奏会を続けた。

 長井高は コンクール県大会のCクラスで68年から3年連続で最優秀賞に輝いた。71年からは定期演奏会を開始した。73年以降は卒業生の淀 彰の編曲で毎年コンクールに臨み、75年にはBクラスで東北大会に出場した(板垣敏之)。

 米沢東高は音楽部の中に吹奏楽班が位置づけられ、74年に始まった定期演奏会では声楽、弦楽、吹奏楽の各班の発表と3班合同という構成をとっている。創部当時は生徒だけの活動だったが、坂野洋子の指導で力をつけ、80~81年にBクラスで東北大会に出場した。

 中学校では米沢一中が71年にBクラスで東北大会出場を果たした(酒井原芙美)。70年代はAクラスの長井中(会田 隆)、Bクラスの米沢三中(増子 力)、白鷹西中(土屋和彦)、Cクラスの新山中(上野謙二郎)等が県の上位に名を連ねていた。

 76年に新山中が置賜の中学校として初の定期演奏会を開き、84年に米沢四中(名和生公)、87年には米沢一中(上野謙二郎)も定期演奏会を始めた。新山中の演奏会は学校統合で川西中を経て川西一中に引き継がれている。

 

夢と憧れの大舞台へ

1996年、米沢商業高校が全日本吹奏楽コンクールで銀賞
1996年、米沢商業高校が全日本吹奏楽コンクールで銀賞

 実力を高めていた米沢吹奏楽愛好会は、84年にコンクール全国大会に初出場を果たした(愛知・名古屋市民会館、指揮:遠藤敏男、『古いアメリカ舞曲による組曲』、銅賞)。86年(兵庫・アルカイックホール、指揮:金子 勉、『ロメオとジュリエット』、銅賞)、87年(愛知・豊田市民会館、指揮:箕輪 響、『ハーリ・ヤーノシュ』、銀賞)、88年(埼玉・ソニックシティ、指揮:遠藤敏男、『メキシコの祭』、銀賞)にも連続出場し、置賜から全国大会への道を開拓した。87年5月には作曲家アルフレッド・リードを客演指揮者に招き、特別演奏会を催した。その後91年(広島厚生年金会館、指揮:中嶋光紀、『シェエラザード』、銅賞)、94年(静岡・アクトシティ浜松、指揮:淀 彰、『ロメオとジュリエット』、銀賞)にも全国大会に進出し、全国区のバンドとしての地位を築いた。

 中学Bクラスは80年代後半から県代表の座を置賜で争った。87~90年の4年連続で長井南中(土屋和彦)、93年と95年に米沢一中(上野謙二郎、菅野賢二)、96年の飯豊中(土屋ユミ子)は置賜の中学・高校を通じて初の東北大会金賞をもたらした。97年に米沢一中(菅野賢二)も金賞を受賞し、規定の変更でBクラス最後となった99年は米沢二中(村上泰裕)が初出場した。

 これ以外の部門でも、86~88年に小学校の部で米沢南部小(松本恵子、井上直之)、89年に中学Aクラスの米沢四中(名和生公)、96年に高校Bクラスの米沢東高(山田豊信)が東北大会に出場している。

 米沢商業高は持ち味のサウンドに中嶋光紀の緻密な理論が加わった芳醇な〈米商サウンド〉が根強いファンをもっていた。93年の東北大会出場が評価され、翌94年に全国高校総合文化祭に派遣された(愛媛県民会館)。勢いに乗る同校は96年に念願のコンクール全国大会に初出場した。〈米商サウンド〉は普門館に響き渡り、県内の高校初の銀賞を受賞(写真:東京・普門館、『オマージュ』)、大会翌日には阪神大震災支援の演奏会Band Aid for Hansin '96にも出演した(東京・パルテノン多摩)。98年には全日本高等学校吹奏楽大会(青森市文化会館、指揮:森 綱一郎)にも出演した。

2000年、米沢四中が全日本吹奏楽コンクールで金賞
2000年、米沢四中が全日本吹奏楽コンクールで金賞

  97年、99年と東北大会に進出していた米沢四中(加藤公一)は、2000年に全国大会に初出場を果たし、見事金賞に輝いた(写真:東京・普門館、『戦場にかける橋』)。練り上げられた「オルガン・サウンド」が高く評価された。3週間後、全国大会一般の部で米沢吹奏楽愛好会も初の金賞を獲得し(写真:東京文化会館、指揮:淀 彰、『眠れる森の美女』)、置賜は「アベック金賞」に沸いた。

2000年、愛好会が全日本吹奏楽コンクールで金賞し「アベック金賞」
2000年、愛好会が全日本吹奏楽コンクールで金賞し「アベック金賞」

 米沢四中は01年(『第六の幸福をもたらす宿』、銅賞)と03年(『リヴァーダンス』、銀賞)にも普門館の舞台に立った。また、01年に全国学校合奏コンクール(録音審査)で全国1位の内閣総理大臣賞、文部科学大臣賞に輝いた。同校は05年まで7年連続で東北大会に出場した(加藤公一、荒井正人)。

2002年、米沢二中が日本管楽合奏コンテストで最優秀賞
2002年、米沢二中が日本管楽合奏コンテストで最優秀賞

  小編成部門には02年に東北大会と東日本学校吹奏楽大会への道が開かれた。この年、米沢二中(村上泰裕)と高畠一中(金子研司)がそろって東北大会に出場し、米沢二中が東北代表として東日本大会に初出場した(写真:宮城・イズミティ21、『メリー・ウィドウ』、銀賞)。また、同じ曲目で日本管楽合奏コンテスト全国大会にも初出場し、最優秀賞を獲得した(東京・文京シビック)。同校は04年まで通算5回東北大会に出場した(村上泰裕、佐藤直子)。

 近年東北大会には、04~06年に米沢東部小(神野孝幸)、06年に米沢商業高(丸山善彦)、06~07年に米沢七中(加藤公一)が進出している。飯豊中は06年に東北大会に小編成で返り咲き、東北代表として東日本大会に初出場(宮城・イズミティ21、指揮:紺野由樹、『ロメオとジュリエット』、銅賞)、翌年も東北大会に進出した(安達郁恵)。

 アンサンブルコンテストを振り返ると、東北大会に出場した団体としては、米沢東部小、南部小、米沢一中、三中、四中、五中、七中、長井南中、新山中、飯豊中、米沢興譲館高、米沢東高、米沢商業高、米沢工業高、愛好会、米沢ブラスウィンズ、長井理研、アンサンブル・エザルタートがあげられる。愛好会以外では米沢工業高が80年度に金管八重奏で、米沢四中が01年度と05年度に打楽器八重奏で金賞を受賞している

 これまで置賜が輩出したプロ・アマの演奏家は数え切れない。吹奏楽指導者では井田重芳(東海大学第四高)、淀 彰(国立音楽大学)、渡部謙一(北海道教育大学)らが名を連ねる。また、村上泰裕は96年に著書『アルフレッド・リードの世界』を刊行している(佼成出版社)。

 

置賜の吹奏楽、新時代へ

 03年秋、伝国の杜置賜文化ホールで「国民文化祭やまがた2003吹奏楽の祭典」が開催され、全国の優秀団体が演奏を繰り広げた。これを機会に「吹奏楽の日コンサート」が始まり、加盟団体の発表と交流の場になっている。一方、アンサンブルの発表会として米沢商業高が92年度に始めた「アンサンブル・フェスティバル」は年々規模を拡大し、高文連に主催を移して継続している(現在は継続していない)

 04年、映画『スウィングガールズ』が公開された。前年に置賜各地でロケが行われ、高畠高、九里学園高、置賜農業高、米沢商業高、南陽高、長井高、荒砥高の各吹奏楽部員や顧問らが賛助出演した。その後、川西町では映画のラストシーンを再現した「東北学生音楽祭」を続けている。

長井高が03年に行った「2万人アンケート」による演奏会、米沢東高が07年に始めた〈バロック音楽演奏会〉は、新しい試みとして注目されている。

 演奏会を大事にする誠実な音楽風土であると共に、全国水準のバンドや人材を輩出してきた置賜の吹奏楽の半世紀は、高く評価されている。雄大な山並みに囲まれ人情の厚い風土にあり、先駆的指導者に恵まれその指導を受け入れる温かさ、顧問同士の仲が良く常に協力的であったこと、さらに米沢吹奏楽愛好会が手本を示し後進を導いたことなどが、置賜の吹奏楽を育んだ。音楽で結ばれた絆こそが最大の要因だったと思われる。

 置賜は新たな半世紀に入りつつある。関東・関西地区に比べ情報や刺激の不足は避けられず、社会・教育面での今日的課題にも直面している。置賜のこんにちの吹奏楽を築いた諸先輩も年輪を重ねつつある。次世代を担う指導者の育成、練習メニューなど情報の共有と全体水準の向上、全国に通用する雄弁な音楽作り、少子化と男子部員不足への対応、市民からの理解の向上や関係諸分野との連携など、時代を見つめ、その先を見越した新たな進展にさらなる希望を託したい。

 

 この文章は2009年に山形県吹奏楽連盟が発行した『山形県吹奏楽連盟50年史』に「置賜地区吹連の歩み」と題して村上泰裕が執筆したものです。山形県吹奏楽連盟の快諾を得て転載しました。したがって、記載内容は2009年の時点のものです。今後、最新情報を盛り込む可能性があります。

ニュース・近況

 

12月10日 コバケンとその仲間たちオーケストラ 史上最高の第九に挑むVol.4に出演予定です(東京)

 

6月25日 コバケンとその仲間たちオーケストラ第86回演奏会に出演予定です(東京)

 

6月23日 10年に及ぶ準備を経て、このたび『アルフレッド・リードの世界 改訂版』が刊行されました。どうぞよろしくお願いいたします。

 

4月23日 真島俊夫メモリアルコンサート"natal"2023(山形県鶴岡市)に出演しました。

 

4月15日 全音スコア、ブラームス《ヴァイオリン協奏曲》が発売されました。楽譜制作担当です。

 

2023年

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1月25日 アルフレッド・リードが生誕101年を迎えました。

 

1月15日 全音スコア、リムスキー=コルサコフ《スペイン奇想曲》、全音ピアノライブラリー『マスネ:ピアノ小品集』が発売されました。楽譜制作担当です。

 

1月8日 『バンドジャーナル』2022年2月号の「コンサートレビュー」にオオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ第139回定期演奏会の報告を書きました。

 

2022年 明けましておめでとうございます。平和な日常が戻ることを祈るばかりです。

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12月15日 全音スコア、ドリーブ《組曲 シルヴィア》が出版されました。楽譜制作担当です。

 

11月15日 全音スコア、ムソルグスキー/リムスキー=コルサコフ編《はげ山の一夜》が出版されました。楽譜制作担当です。

 

8月8日 『バンドジャーナル』9月号が発売されました。「バンドミュージックレパートリー」を担当。アルフレッド・リードの名曲を取り上げました。

 

8月5日 タワーレコード/ブレーン株式会社製作のCDアルバム『「エルサレム讃歌」—アルフレッド・リード讃!』が発売されました。当面タワーレコード限定販売です。

 

6月15日 全音スコア、ドリーブ『バレエ音楽 コッペリア』(15曲抜粋)が出版されました。楽譜制作担当です。手書きの底本と作曲者の自筆譜を見比べながらの困難な作業でした。世界的にも珍しい出版です。

 

5月2日 A. リード音の輪コンサートに出演しました。多数のご来場、誠にありがとうございました。

 

4月15日 全音からサン=サーンスの『ヴァイオリンのための小品集』が発売されました。楽譜制作担当です。「従来出版がなかった幻の楽譜も収めています。」

 

4月9日 『バンドジャーナル』5月号の「特集 生誕100年!! アルフレッド・リードの世界」にさまざま掲載していただきました。

 

3月15日 全音スコア、シューベルト『交響曲第9(7)番 グレート』が発売されました。楽譜制作担当です。

 

3月6日 『父・バルトーク』が好評につき重版となりました。おおむね初版通りですが、微細な修正と補記が入っています。今年はバルトーク生誕140周年ということもあり、引き続きご愛顧をよろしくお願いいたします。

 

1月27日 朝日新聞山形版&デジタルにご紹介いただけました。

 

1月15日 全音スコア、ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番』が発売されました。楽譜制作担当です。

 

2021年 新型コロナが収束しませんが、リード生誕100周年が始まりました。

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